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防災に興味を持ち出してから、何が一番問題なのか考えてみると、大きな災害のあとには防災に関するモチベーションが高まっても、それが一時期だけのものになってしまうことです。


防災は一時期だけすればいいというものではなく、1年、10年、100年、1000年単位で考えていかなければならないこと。でも、あまりに「防災、防災」と考えると(気持ちが)続かなくなってしまうこと。それが問題なのですね。


なら、どうするか?
やはり、防災意識を自分の生活の中に落とし込むことだと思うんですね。
そして、できることからやる。


ずっと、そんなことを考えながら防災関連の本を読んだりしていたら、「土手の花見」という防災に関する有名な話があることを知りました。
すでにご存知でしたか?

“土手の花見”ってなに?

昔、水害対策のために作られた土手。
ところが、冬を越すと翌年の出水期である梅雨にまた決壊してしまう。


土手を作り直しても、また翌年同じように決壊してしまうことを繰り返していた時、土手に小さな穴が開くことが原因でさらに大きな穴が開き、それが土手を決壊させてしまうことがわかったのです。


つまり、水分を含むことが原因で決壊することがわかったので、今度は土手を固くすることで決壊を防ぐことができると考えました。
そこで、土手を踏みしめるために人を集めようと考えました。でも、お触れを出しても人が集まらない。


それで、土手に桜の木を植えて、お花見をすることを提案したのですね。
そうすると、きれいな桜を見るために人が集まるようになり、イヤでも土手は固く踏みしめられ強化されて、もう決壊することがなくなったとのこと。


これがどういうことかいうと、「防災、防災」とあまりにも真正面から謳っても義務感だけでは人は動かない、ということなんですね。
防災というシリアスな問題でも、楽しめる要素を取り入れることで人は行動するということです。


人が自然と集うような、楽しめる要素を取り入れる工夫をすることが防災においても、とても大切なことという認識を、この話から得ることができました。


楽しいことには人は自然に集まるという、人の心理や自然な行動を防災につなげています。こういう発想の転換を、これからの暮らしにどう取り入れていくかが、生活の中に防災を根付かせるためには効果的な方法なのだと思います。


“土手の花見”のエピソードも、今回のテーマ、「結果防災」になりますね。
それが目的ではないところで、結果的に防災になっていた、ということです。

“稲むらの火”とは?

幕末から昭和初期にかけて活躍した浜口梧陵という人がいます。


1854年、安政元年の安政南海地震のときに津波から村人を救った人です。


その時に稲わらを積み重ねたもの(稲むら)に火をつけて村人に危険を知らせたんですね。その火事を見て村人たちは高台に逃げて助かったのです。


この話はのちにラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が英語の作品として発表し、後年日本語にも訳されました。タイトルは「生ける神」


この「稲むらの火」のように、和歌山の人たちだけでなく、広く伝説として語り継がれるようになると、防災の知恵として後世の人に知れ渡ることになりますね。





日本は災害大国で、自然災害の多い国として今や国際的に知られています。きっと歴史的にも自然災害を繰り返してきた経験が、防災の知恵として、それぞれの地域に残っているかもしれません。


物語として語り継がれるようなことがないと、ほかの地方の人はその知恵を知ることはないわけです。体験から出てきた防災の知恵。きっと全国にはたくさんあるのでしょうね。

まとめ

「結果防災」という防災対策があるということを今回知りました。
そして、これは防災の理想の形だと思います。


特に地震を始め、自然災害の多い日本に住んでいると、1年、10年、100年スパンで防災について考えなければ防災の意味がないとも言えるのではないかとも思います。


そうすると、防災の取り組み方も柔軟に、楽しめるような工夫もしないと続けられませんよね。


最近の防災グッズは、カラフルでおしゃれなものが多くなってきています。これも、キレイなものを手にしたいと考える自然な行動につながりますね。特に女性は。


「ねばならない」という義務感だけでは続けることが苦しくなります。自然とやってしまう。やることが楽しい。そういう防災が日常的にできるようになったら、そのときこそ防災が根付いたと言えるのかもしれません。